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ディンプル&ピンチとヘイグ家
 カウンターごしにAさんとBさんの会話が聞こえてくる。

「あそこにあるスコッチ・ウイスキーのディンプルは、
 昔ピンチと言ったんだよ。」

「へえ〜そうですか。だけどどうして名前がかわったんでしょうね?」

「さあ〜それは私も知らないけど・・・。マスター教えてくださいよ!」

「そうですね。名前の由来を話す前に、このウイスキーをつくった
 ヘイグ家のことを少しお話ししましょうか。」
 
 ヘイグ家
 ヘイグ家は元はフランスのノルマン(ノルマンディのコタンタン半島)地方のアーグ岬に居を構えていた(Cape de la Hague)。そのことから当時はハガ、アガ、あるいはヘイガ(Haga)の姓を名乗っていた(後に転じてヘイグーHaigーとなる)。
 1066年にノルマン公ギヨーム(後のイングランド王ウィリアム一世)によるイングランド侵攻に加わり、その功績によってイングランドとスコットランドの境を流れる、ツイード川に領地を賜わり、川畔のビマーサイドに城を構えヘイグ(ハガ)本家が始まった。
 さてウイスキーのジョン・ヘイグ社を創設することになったのは1600年代に入ってからで、ロバート・ヘイグの家系につながり、ロバートから3代は小規模に行っていたが、4代目ジョン・ヘイグ(1878年没)の代になって本格的に蒸留業に乗り出し、息子のヒュー・ヘイグが1893年にマーキンチ(Markinchi)に本拠を置くジョン・ヘイグ社の初代社長に就いた。ジョン・ヘイグ社は後にウイスキー・メーカーの一方の旗頭的存在へと発展していく。
 また、同時にヘイグ家の名声を高めたもう一人の人物がヒューの弟のダングラス・ヘイグで彼は軍人の道へと進み、第一次世界大戦当時に元師となり、ロンドン防衛司令官、次いでヨーロッパ連合軍最高司令官として豪勇をうたわれ、伯爵に叙せられた。ジョン・ヘイグ社が蒸留業界で隠然たる勢力を持ったのはヒューの力は勿論のことだが、ダグラスに負うところも多かった。
 
 ディンプルとピンチ
 ディンプルとピンチですが中味はまったく同じです。えくぼのディンプルが広く知られていますが戦後になって日本ではピンチが販売されていました。ピンチはアメリカ向け輸出専用のブランドとして、ヒューの弟のジョン・アカス・ヘイグが創設したヘイグ&ヘイグ社が販売していたもので、日本がアメリカ軍の占領下にあったところからピンチが長いこと日本の市場に出回っていたわけです。
 なお、ヘイグ&ヘイグ・ファイブ・スターと云うスタンダード級もアメリカ向けブランドとして輸出され、ピンチ(意味/つまむ、ひねる)も同様に日本でも販売されていました。ピンチからディンプルにかわった頃、巷ではピンチという名称はイメージがよくないからかわったんだ、などとまことしやかに言われていたようですよ。
 
文●カクテル・アーティスト 吉田 貢(Y&MBar KISLING)
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