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ジンとラムにまつわる話
 オランダで生まれたジンがイギリスで開花したのは、1689年にオランダのウィリアム公がイギリス国王に即位したことによって始まりました。
 国王はこのときイギリスにジュネバ(オランダのジン)を持ちこみ飲用する習慣をつけるとともに、フランス産のブランデーやワインの輸入関税を引き上げ、イギリス産の酒類を保護したためジンの生産量が増え、消費が大きくのびました。
 さらに18世紀前半のアン王女の時代には再度増税したあげく、専売だった法律を廃止し、誰もが蒸留酒をつくれる自由を与えたため、ジンの消費に拍車がかかるとともに粗悪な製品が氾濫し始め、アルコール中毒などに罹るものが多く、男は仕事をせず女は家事や育児を放棄し、様々な悲劇がおこり、社会問題となりました。当時のジンの消費量は一人当り、現在の20倍位だったそうです。
 1831年にイーニアス・コフィーが連続蒸留機を発明したことにより、イギリスの生産者は癖のない軽い風味のジンをつくるようになり、これによって従来のジン(ジュネバ)とは違ったタイプのジン(ロンドン・ドライ・ジン)が確立され、その後カクテルが流行するとともにそのベース・スピリッツとして一躍世界的な酒となりました。因みにジュネバは故郷オランダに引きこもって伝統を守っていきました。
 
 ラム酒とイギリス海軍とのつながり
 ラム酒とイギリス海軍とのつながりは古く、17世紀から壊血病の予防薬として乗員にラム酒が支給されていました。当初ラムは水兵帽の酒としてストレートで支給されていましたが、仕事に種々と影響が出るため、18世紀中半頃、ときのエドワード・バーノン(EDWARD VERNON)提督が命令を出し、水で割ったラムを支給することにしました。提督はいつもすり切れたグログラム・クローク(粗布の外套)を着ていたところから、"オールド・グロッグ"というあだ名をつけられていましたが、このとき以来この水割りラムを提督のあだ名にちなんで"グロッグ"というようになり、後に酔った状態やフラフラになった状態を"グロッキー"(Groggyのなまり)と形容するものとなりました。(ボクシング用語にもなる。)
 一方、ラム酒には"ネルソン・ブラツド"(Nelson's Blood)という不滅の美称が与えられています。Calvi(カルビ)の戦いで片眼を、Cadiz(カディス)で片腕を失い、1805年10月21日、Trafalgar(トラファルガー)海戦でフランス・スペインの連合艦隊を破ったネルソン提督は不運にも流れ弾を受けて戦死してしまいました。その遺体は腐敗しないようにラム酒を入れた容器に漬けて本国に運ばれました。ところが、港へ着いたときにはラム酒は殆ど残っていませんでした。
 提督の名声にあやかろうとしてか?というと聞こえはいいが、本当は航海の途中のラムのレーション(支給)が減らされたので乗員の何人かが容器に孔をあけ、ときどき盗み飲みしていたのでしょう。このことでラムは別称「ネルソンの血」(Nelson's Blood)と呼ばれるようになり、盗み飲みのことを「提督と飲む」というようになりました。 また、ラム酒には過去に悲しい話が秘められています。
 原料の砂糖キビは栽培に多くの人手がかかり、アフリカから黒人奴隷が西インド諸島に連れてこられました。その船は次に糖蜜を積んで蒸留所が多いアメリカ・ニューイングランドに運び、さらにそこで造られたラム酒を積んでヨーロッパを経由してアフリカに戻り、ラム酒を売った金で黒人と交換されました。これが世にいう三角貿易です。
 
文●カクテル・アーティスト 吉田 貢(Y&MBar KISLING)
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