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わざわい転じて福となす
 ウイスキーの期限は遠い昔のもやのなかに包まれています。古代ギリシャに、大麦からつくられる酒(ビール?)があったのは確かなようです。キリスト教の伝来と時を同じくして、この酒がアイルランドに伝えられ、のちに錬金術師により蒸留技術がもたらされ「生命の水」《ウイスケ・パハ(uisqe beatha)》=ゲール語=が誕生。これがスコットランドに伝えられたといわれています。

 こうした言い伝えの真偽は明らかではありませんが、相当古くからスコットランドのハイランド地方で地酒として飲まれていたことは明らかなようです。
 
 ウイスキー誕生のきっかけ
 当初のウイスキーは蒸留したままの味と色(無色)で、現在のウイスキーとは全く趣きが違っていました。現在のスコッチ・ウイスキー誕生のきっかけは、18世紀のウイスキー業者に対する政府の厳しい課税であったのです。年々厳しさを増す税金に閉口した蒸留業者たちは、税吏の目が届かない山奥(現在蒸留所が数多くあるスペイ川流域は格好の地形だったようです。)に蒸留所(小屋)を移し密造するようになりました。このため麦芽を乾燥させる燃料として、周辺の野山に無尽蔵にあったビート(泥炭)を利用しました。また税吏の目を逃れ買い手がつくまでの間、蒸留したウイスキーを貯蔵、隠匿するためにシェリーの空樽が使われました。ところがその結果、ビートの香が爽やかな香味を、シェリーの空樽での貯蔵がまろやかな口当たりと琉珀の色合いをもたらし、従来のものより数段、風味豊かなウイスキーとなりました。1823年になってはじめて納得のいく法令と税制が導入され、これによってそれまで盛んに行われていた密造酒づくりも姿を消し、本格的な蒸留所の設立とともに、この製法がスコッチ・ウイスキーの基本として確立されていったのです。

 一方、ウイスキーのもうひとつの雄バーボンは禁酒法という受難を受けています。宗教的倫理観を背景に同法は1920年から1933年まで実施されました。まさに酒飲みにとってはつらい悪夢のような13年間だったろうと想像されますが、実情はそうでもなかったようです。禁酒法時代の非合法であった酒場の数は施行前に比べて大幅に増加したということです。これから類推しますと酒類(密造酒や不法輸入酒)の消費量もかなり増大したのではないかと思われます。

 この間、莫大な利益を得たのは、かの有名なアル・カポネなどのギャングばかりでなく、隣国のカナダもアメリカの地下マーケットヘの輸出で大きく生産量を伸ばし、さらに解禁後のアメリカ市場へもいち早く進出し、カナディアン・ウイスキーの地位を確かなものとしました。禁酒法の恩恵を最大限に受けたのはカナディアン・ウイスキーかも知れませんね。

 その時代の流れ、権力に振り回されながらも、立ち向かってきたウイスキー。このしたたかさが、その味わいに一層の趣きを与えているようですね。
 
文●カクテル・アーティスト 吉田 貢(Y&MBar KISLING)
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